Note 2018

[No.1] 1.1 平成30年 謹賀新年

New Year's Resolution

 (1)早くトランペットが持てるよう、両手のリハビリに専念する
 (2)足腰の衰えを防ぐため、散歩(ウォーキング)の回数と時間を増やす
 (3)飲み会での酒量を控え、記憶喪失(?)にならないように気を付ける


[No.2] 1.17 ピン抜去

 今日、県病院の外来で、左手人差指先端の3本のピンを抜いてもらった。麻酔無しで抜くというのでチョット怖かったが、少しの出血だけで思ったほどの痛みはなくて良かった。

 でも、人差指は手術後2か月の間、ほとんど動かしていなかったので、関節の筋が固くなっていて全くと言っていいほど曲がらない、いわゆる「でくのぼう」状態。

 兎に角、リハビリを頑張るしかない。しかし、いつになったら良くなるのやら?


[No.3] 2.1 何でこんな事に・・・(泣)

 バイク事故で怪我をした両手のリハビリを週2回のペースで受けているところだが、つくづく、何でこんな事になってしまったのか、本当に悔しく思う。それに、対向車との衝突と道路への転倒の衝撃で脳震盪を起こし、事故時の記憶が全く無いことも情けなくて仕方がない。

 リハビリも2か月が経ち、右手は何とか回復しているが、左手はまだ全体的に腫れていて、人差指の爪が剥がれそうで触ると痛みもあり、「グー」が握れないし、まともには使えていない。左手が使えるようになるまではかなりの時間がかかりそうだ。

 事故が無かったら、バンドでトランペットを吹いたり、バイクに乗ったりクルマを運転したり、全く普通に暮らせていただろうに、両手の痛みだけでなく、色々と面倒なことも多くて本当に参ってしまう。何でこんな事になってしまったのだろうか、泣けてくる。

 まあ、辛いけれど、泣き言を言ってもしょうがない。生きていて良かったと思い、前向きに行くしかないね。 ⇒関連写真


[No.4] 2.12 リハビリとラッパの日々

 去年11月9日の事故以来、約2か月は全くトランペットを吹いていなかった。退院後は、そもそも両手が不自由でラッパを持てる状態ではなかったので仕方なかったが・・・。

 しかしながら、焦燥感もあって、年が明けて正月も終わった頃から吹き始めた。左手はまともにラッパを持てなくて手の平へ乗せる格好だが、右手は割と普通に持ててピストンはちゃんと動かせた。しかし、2か月のブランクで唇が上手く締まらず、当然だが、まともな音は出なかった。

 以来、ほぼ毎日自宅練習を続け、何とか音は出るようになって来たが、左手の回復が遅くて、まだちゃんとラッパを持つことはできない。

 バンドは4月から行事があるので、3月からのバンド練習復帰を目指し、リハビリも頑張りつつ、しっかり自宅練習をしようと思う。春はもうすぐ!


[No.5] 3.1 冬から春へ

 気候的にはまだまだだが、暦の上では春になって気分的には嬉しい感じがする。桜の開花や盆地を取り巻く桃源郷の出現が待ち遠しい。

 この春は、バイクで気の向くままに走り回ることが出来なくなってしまった。とても残念だけれど、近隣にもまだ歩いたことのないところが一杯ある。ブラブラ歩くのもまた楽しいものだ。足腰の鍛錬にもちょうど良いし。

 そして、いよいよ今月から、Swing Bird Jazz Orchestraの練習に参加する。4か月ぶりでワクワク!!

【追記】 6日の夜、バンド練習に行ってきた。音のアタックが弱くスピードが遅くて散々だった。高音もしっかり出せなかった。もっともっと練習しなければ駄目だ!


[No.6] 3.13 期待外れのリハビリ

 去年の11月末から週2回のペースで、甲府共立診療所のリハビリに28回通院してきた。リハビリと言っても両手のマッサージをしてもらうだけの内容だが。

 リハビリの結果、右手は、多少の痛みはあるものの、ほぼ普通に使えるようになって握力も戻りつつある。ところが左手は、人差指の爪が治らず指先が物に触れると痛みがあり、中指と薬指の回復も思わしくなく、グーを握ることが出来ない。担当医師が言うには、左手はこれ以上の回復は見込めないそうだ。

 それで、共立診療所のリハビリは3月一杯で終了し、後は、自分でボールを握ったりマッサージしたりの自主トレを行って自力回復を目指すことになった。約4か月間のリハビリで回復できないことはとても残念だ。

 左手は、指を曲げようと力を入れると相当の痛みがある。今後はグーが握れるようになるまで地道に自主トレに励もうと思う。トランペットがちゃんと持てないのは格好が悪いからね。頑張るぞ!


[No.7] 3.16 Noteの活用

 このNoteへの書き込みをみると、何かがあった時の喜怒哀楽の強さに応じて気の向くままに書き込む傾向があるようだ。

 まあ、それでもいいような気もするが、それだと歳とともに喜怒哀楽の感受度が低くなって来て、書き込みが漸減していくのではないかと思う。
 更に心配なのは、何事にもヤル気が無くなって、いわゆる「ボケ」とか「認知症」になってしまうのではないか、と言う事だ。

 今やっているバンドでのトランペット担当とそれに伴う自宅練習は、ひとつの気力維持になっているが、いつかは体力的な問題も出てくると思う。

 そんなことを考えると、このNoteへの書き込みは、文章作成に頭を使うしキーボードも使うし、「ボケ・認知症の防止」にはもってこいだと思う。
 でも、毎日書き込むのは荷が重いので、書き込み日を決めて、何か考えて書き込むようにしたい。具体的には、4月は4日・14日・24日、5月は5日・15日・25日、のような感じで、今月は次の23日。
 どんな事を書くのか、ちゃんと書けるのか、心配もあるが期待もある。兎に角やってみよう!


[No.8] 3.23 年度末の思い出

 昔、市役所に勤めていた頃、3月も中旬を過ぎると、新年度へ向けての人事異動の内示待ちで市役所全体が落ち着かなくなったものだ。
 特に異動が予想される職員にとっては、希望する職場への配置転換や昇進を待ち望んでソワソワする時期でもあった。
 配置転換は、大体3~5年間隔で行われるが、なかなか希望の職場への異動は出来ないし、昇進も同様に簡単には行かないものだった。悲喜こもごも!

 当時は、市長や市会議員や力のある上司などとのコネが物を言った時代で、純粋に職員の能力・人格・識見などに基づく人事ではなかった感じがする。
 優秀な職員がその能力を発揮できる職場へ異動したり、それなりに昇進したりするのであれば回りも納得するし、市役所にとっても良い事だと思うが、中には「何であいつが?」と言うような、本当に首をかしげたくなるような人事異動も散見されたものだ。しかしながら、昔は昔でそれなりに良かった面もあったのではないだろうか。

 かく言う自分は、コネは全く無かったが、そんなに悪くない人事異動が経験できた。中には嫌な職場・仕事もあったが、全体的には楽しく充実した仕事が出来た27年間だったと思う。昔が懐かしい。


[No.9] 4.4 散歩・山歩(Sampo)

 近頃は、なまった体を少し鍛えようと、天気の良い日には出来るだけ散歩するように心掛けている。普段は家の周りを30分~1時間程度を歩くのだが、たまには法泉寺山や湯村山を歩いたり、ちょっと足を伸ばして白山~千代田湖や小松山園地などへ山歩することもある。

 昨日は、時々一緒に山歩する所属バンドのピアノのK君と、武田神社~躑躅が崎園地~深草観音へと山歩した。午前10時45分頃に家を出て、途中のコンビニで水・ビール・おつまみ・おにぎりを買い、先ず躑躅が崎園地まで登り、甲府の街を眼下にビール&昼メシをゆっくり楽しんだ。天気も昼のビールも最高!!!

 躑躅が崎園地から深草観音入口までは適度なアップダウンのある2kmちょっとの山道だったが、木々がうっそうとしていて残念ながら景観は良くなかった。

 深草観音入口の案内看板は不親切かつ適当で、山道は予想外に長く険しく、かなり苦労して深草観音に辿り着いた。しかし、観音様の鎮座する祭壇まではほぼ垂直な梯子(鉄製、高さ約15m)を登らなければならない。最初はちょっとビビッて数段で降りてしまったが、K君が祭壇まで登って降りたので、次は意を決して恐怖に耐えて登り続け、小さな祭壇に入ることができた。観音様に両手の回復を祈願し、祭壇内にあったノートに記録を残し、梯子を一歩一歩慎重に降りて戻ってきた。

 

 深草観音を後に、日吉神社・瑞岩寺・上積翠寺の集落を抜け、県道31号線を下って武田神社の横を通り無事に帰ってきた。(17時帰宅。全行程約15km)

 そして、夜はバンド練習。本当に充実した一日だった。山歩は楽し!!


[No.10] 4.14 民生児童委員

 2016年12月1日から民生児童委員(任期は3年)をやっている。担当区域は自分の住んでいる市営アパート(9階建て全123戸)1棟だけなので区域的には楽であるが、問題なのは、住んでいる人たちのことが良く分からないことだ。

 このアパートは2014年4月に建て替え・新設されたもので、当初の入居者は旧アパートの住人だった人たち(30戸ほど)と自分のように抽選で当たった人たちで、その後も結構入退居があるようで、今でも、自分の居住階の住人もよく知らないし、居住階以外の住人については殆んど知らないのである。

 全居住者の最新の名簿でもあれば有り難いが、市役所からは、65歳以上の高齢者名簿(80名)・災害時の要支援者名簿(26名)・生活保護者名簿(10名)の3種類の名簿(2018年2月現在)が渡されただけ。

 ところが、これらの名簿では誰が何を困っているのかは良く分からないし、子供たちのことは何ひとつ分からない。だからと言って、いちいち御用聞きのような真似も出来ず、必然的に受け身の限定的な対応にならざるを得ない。

 毎月21日に北新地区の民生児童委員(19名)の会合がある他、月ごとの報告書の提出と研修会や施設見学などもあり、一応は民生児童委員としての活動はしているが、本来の民生児童委員の役割には程遠い状況にある。(困っている人がいないのであれば、それはそれでいいのだが、、。)

 民生委員の制度が出来て100年が経つそうだが、もはや今の時代には適合していないと思うし、行政のご都合主義でやっているようにしか思えない。

 あと1年7か月余り、何とか無難に過ぎてくれればと願うばかり。(誰か後を継いでくれる人を見つけなければ、、。)


[No.11] 4.30 パソコン買い替え

 2013年1月に買ったノートパソコン(東芝dynabook)が今年の初めから調子が悪くなり、使用終了時は”スリープ”で終わるようにしていたが、数日前にうっかり”シャットダウン”で終了してしまい、それからは電源を入れてもファンやハードディスクの動作音はすれど、いつまで経っても起動画面が立ち上がらず、使えなくなってしまった。

 そして仕方なく、一昨日、新しいノートパソコン(Lenovo ideapad302)を購入した。色々なアプリのセットアップなどに結構苦労したが、何とか前のパソコンと同じ程度に使えるようになった。

 そして、最大の問題だと思っていたiTunesの音楽データ(約1800曲)は、2月にWindowsの初期化の際のデータ保存用に買ったUSBメモリーにデータが残っていたので何とかなりそうだ。しかし、USBメモリーに残っていなかったメールアドレス・データなどはdynabookのハードディスクから抜き出すしかない。何とかなればいいのだが・・・。

【追記】ケーズデンキで買ったHDDケース(1,415円)で、dynabookのHDをLenovoに接続し、いくつかのデータを取り出すことはできた。しかし、肝心のメールアドレス・データは発見できなかった。残念。今後、dynabookのHDは外付けHDとしてデータ保存に活用する。


[No.12] 5.5 エンジョイ!無職年金生活

 昨年の7月1日以降は収入の得られる仕事は全くしていない”完全無職”で、唯一の収入は年金だけである。僅かばかりの蓄えしかないが、命が尽きるまで何とかそこそこに暮らしていけるだろうと漠然と楽観している。

 50歳で市役所を辞めてからは、収入確保とともに社会との繋がりを保つためにも、何か仕事を持って働いていた方が良いと思っていたが、65歳を過ぎ年金も満額支給されるようになってからは、小遣い稼ぎのために我慢してまで働くこともないと思うようになってきた。

 ”無職”というのはちょっと淋しい感じもするが、仕事につきものの気遣いや嫌な人間関係に囚われることもなく、精神的に解放された穏やかで安定した状態が保たれている。まあ、”無職”ということは、いわゆる”サンデー毎日”状態ではあるが、日々、暇でブラブラしているということはなく、自分のこと、家のこと、公的なことなど、することやしなければならないことは色々とある。

 そんな日々の暮らしの中には当然、面倒なことも出てくる。しかし、人生に”喜怒哀楽”や”一喜一憂”はつきもの。だからこそ人生は面白いのであって、生きている実感や価値があるのではないだろうか。

 何にしても、残り時間を大切に、”健康第一”をモットーに、明るく楽しく充実した”無職年金生活”を送りたいと思う。「苟日新、日日新、又日新」


[No.13] 5.15 Noteについて

 このNoteを始めたのは16年前の2002年5月。コネチカット大学UCAELIの春学期があと少しで終わる頃で、何かと悩んでいたうえに体調を崩して落ち込んでいた頃でもあった。

 始めた理由は、多分、テレビで毎日欠かさず見ていた日本のニュースについて、誰かと話をしたくても誰とも話ができない環境の中で、自分の率直な気持ちを書くことでストレスを発散したかったのではないかと思う。だから、日本の政治やおかしな事に対する批判的な短文が多く、正に鬱憤晴らしのために書いていたと言っても過言ではないだろう。

 その後、2005年頃からは社会批判の短い文章のほか、自分の身に起こった様々な出来事なども書くようになり、2010年頃からは文章が少しづつ長くなり、自分の状況や思いを素直に書くようになってきた。

 今振り返って読んでみると、自分がどんな心境にいたのかがよく分かり、馬鹿らしさもあるが、とても感慨深いものがある。

 既に [No.7] でも書いているが、これからも出来るだけ永く”自分の生きた証”として書き続けていきたいと思っている。
 でも、これって単なる”自己満足”かな? まあ、それでもいいか!


[No.14] 5.25 昔の仲間は最高!

 ちょうど1週間前、大学時代のバンド(Big Sounds Society)の同期メンバーOB会が岩手・花巻温泉”ホテル志戸平”で開催され、同期メンバー10名のうち8名が集まる盛会となった。
 出席者は、地元・花巻の他、盛岡、松戸、東村山、相模原、甲府、黒部、小牧の合計8名(TP×2、TB×4、Sax×1、Bass×1、同伴夫人3名)で、欠席は、横浜と周南の2人(Sax×2)だった。
 ⇒ Memory [No.89]

 今まで東京での飲み会は何回かあったが、大学卒業以来、泊りで集まったのは遠方のメンバーの地元での結婚式に出席した20代の頃しかなかった。
 今回、久しぶりの泊りで色々と話ができ、学生バンド時代の様々な出来事が蘇り、話は大いに盛り上がりとても楽しかった。バンド一筋に熱中した若き頃の思い出はいつまで経っても色褪せることがない。
 ⇒ 明大BSS 1974 サイト

 酒を飲みながら仲間の一人がしみじみと「社会人になって40年近く付き合った人間より、短期間でも学生バンドで一緒に過ごした人間の方がずっと楽しく面白い。」と言っていた。確かに、その通りだと一同納得したものだ。

 たった一泊の短時間の再会だったが、いい思い出を胸に秘め、また会うことを誓い、それぞれの帰途についた。(来年は富山・宇奈月温泉かな?)


[No.15] 6.2 バイクに思う

 昨日と一昨日は”いばら会”の一泊ツーリングだった。と言っても、昨年11月の事故でバイクをお釈迦にしてしまったので、今回はクルマでの参加だった。
 まあ、バイクがあったとしても、左手がまともにクラッチレバーを握れないだろうし、何とか乗れるとしても絶対にカミさんが許さなかっただろう。
 でも、そもそもバイクがないので参加しないつもりだったが、メンバーからの強い誘いがあってクルマでの参加を決めた次第だった。(高校の同期生KA君が同乗)

 しかし、やっぱり、クルマは面白くない。バイクだったら、全身に風を受ける自然との一体感や、コーナーで可能な限りバイクを傾けて走り抜けるスリル感などが堪らないが、クルマでは全くそういうことがない。

 歳も取ってきたので、今年か来年の夏に北海道一周ツーリングをやってバイクを卒業しようと思っていたが、思いもよらぬバイク事故でそれは叶わぬ夢となってしまった。
 もうバイクには乗らないと決めているが、思えばバイクはそのパワーで精神的にも肉体的にもひ弱な自分を未知の世界へと駆り立ててくれた最高の相棒だった。高速道路を思い切り飛ばしたり、変化に富んだ山道や峠道をワクワク・ドキドキしながら走ったことは何事にも代えがたい貴重な経験だった。それに、いばら会の気の合った仲間とあちこちへツーリングしたことも良い思い出だ。
 バイクと一緒だった至福の時間は一生消え去ることはない。
 ⇒ Viva! Bike!


[No.16] 6.9 左副腎摘除手術

 50代半ばから高血圧傾向だった。当時はそんなに気にしていなかったが、歳を取ってきて健康志向も強まり、一昨年の11月から服薬治療を始めた。そして、高血圧の原因は”原発性アルドステロン症”と診断され、昨年の11月14日に左副腎の摘除手術を受ける予定だった。ところが、手術直前の11月9日にバイク事故を起こしてしまい、手術は止むを得ず中止・延期されていた。

 バイク事故後のリハビリ中は摘除手術を受けるかどうかで結構悩んだが、県病院の複数の医師も国立病院の担当医も副腎の摘除を勧めるので、熟考の末、やはり手術を受ける決心をし、その手術が先の6月5日に行われたのである。

 手術は、左腹部に3か所の穴を開ける腹腔鏡による手術だった。術後の経過も順調で8日の昼には退院することができた。しかし、手術直後の夜は最悪だった。点滴の他、蓄尿バッグとドレーンの装着で身動きが取れないうえに、両足のふくらはぎに血栓防止のためのポンプマッサージ装置が取り付けられたので、一晩中一睡もできなかった。今後は13日に抜糸(正確には抜鈎(ばっこう)=抜ホチキス針)して完了となる予定。降圧剤の服用も不要となる見込み。

 今までに色々と手術を受けたことがあるが、手術は今回を最後にしたい。歳を取ってくれば具合の悪いところは色々出てくると思う。でも、もう手術だけはしたくない。体を傷つけない服薬治療などで騙し騙し生きていこうと思っている。そして、希望はピンピンコロリ。さて、どうなる?

 腹筋に力を入れると痛みがあるので療養に専念し、トランペットは暫く休止。残念!
♪ Summertime


[No.17] 6.16 平和はいつ?

 12日にシンガポールで行われた米朝首脳会談。巷の解説では、非核化については具体的なことが何一つ合意できず成功とは言い難い、というのが大方の見方のようだ。

 まあ、いくら綿密な事前協議があったとしても、一回の会談で全てが上手く纏まるなんてことはないだろう。

 取り敢えず、この会談が米朝のみならず近隣諸国、そして世界的な平和構築への第一歩になってくれればそれでいいと思う。

 拉致問題を抱えている我が国にとっても、この会談が日朝首脳会談への引き金となって再び対話が始まることを切に願っている。

 1910年8月から35年間、朝鮮半島を併合・領有した我が国としても、戦後賠償や経済支援などで北朝鮮に誠意を見せる必要もあると思う。

 兎に角、対話を重ねて問題を解決していくしか方法はない。政府の積極的な行動を期待したい。
♪ The World Is Waiting For The Sunrise


[No.18] 6.26 平和はいつ?(2)

 6月23日に沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた「沖縄全戦没者追悼式」で中学3年の女子生徒(14歳)が語っていた「平和の詩」の一部をテレビニュースで見たときはちょっと驚いた。

 彼女の堂々とした話しぶりだけでなくその詩の内容にも興味を持ったので、後でネットで「平和の詩」の全文を探し出して読んでみた。
 読んでいて涙が出そうになるほど感動してしまった。本当に素晴らしい詩だ。地球上のすべての人々がこの詩を読み、戦争のない平和な世界を希求して欲しい。

 沖縄の米軍基地の問題も早く何とかしなければならない。国連で2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により採択された「核兵器禁止条約」に参加しなかった日本政府。いつまでもアメリカの子分のような態度でいるのはやめよう。一人前の主権国家になって欲しい。


[No.19] 7.7 早、半年。

 2018年も半年が過ぎた。武田神社へ初詣に行ったのがついこの間のように思える。今更ながら時の経つのが非常に早く感じられる。年末になればまた、1年が早かったと思うのだろう。

 ところで、山梨県の男性の健康寿命が男性では日本一長いそうだが、それも73歳ちょっとで、自分にしてみればあと6年弱しかないし、日本人男性の平均寿命にしても確か78歳くらいだから、あと10年ちょっとくらいだ。10年なんて”あっという間”に経ってしまう。だから、一日一日を無駄にせず、自分の納得のいくように生きて行きたい。

 何となく先が見えるような気もするが、心身ともに健康で自分のことは自分でちゃんと出来るなら可能な限り長生きしたい。認知症や寝たきりにならず、車椅子のお世話にならず、周りにも迷惑をかけずに”ピンピンコロリ”と終わることができれば最高だ。しかし、どうなるかは”神のみぞ知る”、先のことは分からない。しかしまあ、こういうことは余り深刻に考えない方がいいね!
♪ Don't Worry, Be Happy


[No.20] 7.17 バンド仕事

 一昨日の日曜日、Swing Bird Jazz Orchestra の仕事で富士吉田・如来寺の夏祭りに行ってきた。
 このお祭りは、幾つかの音楽グループや踊りのグループが出演し、お寺の檀家や近所の人々と共に、真夏の夕べのひと時を楽しむという恒例の行事である。
 ちょっと遠いけれど、手作りの夕食付なのでバンドメンバーも毎年楽しみにしている行事のひとつでもある。

 バンドとしては、コンサートなどで自分たちのビッグバンド・ジャズを聴いて貰いたいという思いが一番強いが、お祭りなどの行事に呼ばれて演奏する機会(これを仕事という)が年に数回(ギャラを貰える仕事も)ある。そういう時はジャズだけでなく、老若男女に受けそうな歌謡曲やアニメソングなども演奏したりする。
 メンバーにとっては、やはり、リズムに乗ってスイングするビッグバンド・ジャズの演奏が一番楽しいし、いい演奏が出来た時は格別の喜びや満足感がある。でも、ジャズ以外でもいい曲があって気分転換にもなるので、バンド仕事も楽しいものだ。

 話は変わるが、SBJOも他のビッグバンドと同様にメンバーの高齢化(最高齢は78歳。平均年齢は60歳?)が進んでいる。20人前後の大所帯だけに長く続けることは大変だが、そのためには新陳代謝が必要だ。
 そうは言っても、67歳の自分としては邪魔にならない限り出来るだけ長くトランペットを吹き続けたい。なんてったって、ビッグバンドが最高だ!!!
♪ It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing)


[No.21] 7.27 猛暑に思う

 今年の7月は気候的に前代未聞の凄い月だ。死者200人以上となってしまった西日本豪雨(平成30年7月豪雨)、それに続く全国的な連日の猛暑、更に、明日には進路が異常な台風12号の襲来予報。

 これって地球温暖化による大きな気象変動(異常気象?)と言えるのではないか。その証拠に、毎日のように、過去に例のない気候現象(北極圏で33℃を記録、北欧で森林火災が頻発、砂漠の都市で洪水、アメリカやギリシャでの悲惨な山火事、などなど)が世界各地から伝えられている。

 確か、地球温暖化を阻止するために、国際的に二酸化炭素などの温室効果ガスの排出削減の決まり(パリ協定)ができたと思っていたが、どうも経済発展が優先されて一向に温室効果ガスの排出量が少なくならないようだ。

 この頃の極端な気候が一時的なものであれば良いが、この先、地球がどうなるのか心配でしょうがない。
 しかしまあ、熱中症で亡くなる高齢者の多いこと! 明日は我が身とならないように気を付けよう。


[No.22] 8.8 ボランティア

 ボランティアという言葉はあまり好きではない。その理由は、縁もゆかりもない赤の他人のためにわざわざ出向いて無償で働くことがどうも”偽善行為”のように思えてならないから。また、ボランティアは”崇高な美徳”というふうに称えられ、ボランティアをしない人を蔑んでいるようにも思えるからだ。

 それはともかく、先日、北杜市白州町にある難病や障害のある患児・患者と家族のためのレスパイト施設・あおぞら共和国で行われたSSPE青空の会のサマーキャンプ(8月3日~5日)の”ボランティア”に行ってきた。と言っても3日の1泊だけで、みんなと一緒に食べたり飲んだりゲームをしたり喋ったり(少しの手伝いもしたが)で、ボランティアと言えるものだったのか自責の念もある。

 災害に遭ったり介護が必要な家族を抱えている家庭の悲しみや苦労はいかばかりかと思う。そしてそれが身内や知り合いだったら、自分に出来ることがあれば喜んで”手助け”をしたいと思っている。でもそれはボランティアというものではなく、身近な人を”慮る気持ち”からのことだ。自分には本当の意味のボランティアは出来ないと思う。


[No.23] 8.18 お盆さん

 8月と言えば、”お盆さん”。お盆(盂蘭盆会)は仏教行事の一つだけれど、何故そういうことをするのかいまいち理解できない。ネットで調べた最も有力と言われる説(釈迦と弟子の目連の話)でも、どうもよく分からない。

 まあ、”お盆”の意味がどうであれ、無宗教の自分はお盆にすることは特にない。だからと言って、仏教行事を否定している訳でもなく、亡くなった両親・兄弟やご先祖様のことをないがしろにしている訳でもない。お盆やお彼岸などの折に触れ、自分の心の中で先祖を偲び故人の冥福を祈っている。

 世の中には色々な宗教や様々な風習があり、それぞれに独特な考え方や伝統的な方法で物事が行われている。宗教や風習に優劣がある訳はなく、基本的にはどれも皆、世の中の平和と人々の心の平穏を願っているものだと思う。

 信じる宗教を持たない(=無宗教)と言っても、世界の平和や個々の平穏を願っていない訳ではなく、特定の考え方に染まりたくないだけだ。よく”信じる者は救われる”と言われるが、何を信じるかはそれぞれの個人の自由であり、それぞれの宗教は宇宙の中に存在する”考え方”の一つでしかないと思う。


[No.24] 8.28 ホームページ改修

 お盆も過ぎ朝夕は多少過ごし易くなってきたが日中はまだまだ暑い。だから、外へ出て熱中症の危険に晒されるより、家にいてエアコンで涼んでいたほうが良い。とはいえ、ゴロゴロしていてはモッタイナイのでホームページの改修に取り組んでみた。

 このホームページは、2001年3月の開設以来かれこれ17年が過ぎた。よくここまで続いたと我ながら感心する。ところが、17年も経つとファイルや写真などはかなり増えてしまい、フォルダーが系統的に整理されていない部分もあって、目的のファイルがどこにあるのか分からなかったり、各ページの表示のバラツキや操作性の不統一なども気になっていた。

 今回の改修は、フォルダー構成の系統化、ファイル様式の統一、スタイルシートの一本化によるページ体裁の統一、ページの操作性の改善、など、ファイルの数が多かっただけに、かなり手間暇がかかり根気を要する作業だった。

 でも、改修はどちらかと言うと内部的な変更だったので、改修後のページの見た目は今までと殆ど変わっていない。だから、以前このホームページを訪れてくれた人にはどこが直されたのか分からないと思う。(要するに自己満足!?)

 まあ、それはともかく、これからも出来る限りホームページを続けていきたいと思っている。たわいのない雑文でも色々と頭を使うしちょっとした工夫も必要だ。それに、キーボードも操作しなければならない。だから、こういう作業はボケ防止・認知症予防には持って来いだろう。しかしまあ、あと何年続けられるのか・・・?


[No.25] 9.9 認知症への道

 直前の[No.24]で、雑文作りはボケ防止・認知症予防に持って来いだ、なんて書いたけど、どうも老人力が一段と強くなって来たらしく、誰かに会った時に顔は分かっても名前が思い出せないとか、聞いたことのある曲が流れてきても曲名が思い出せないとか、何かしようと思った直後にちょっと別の行動を取ると、そのしようとしていたことが思い出せないとか、そういう現象が多くなって来ている感じがする。

 その他にも、誰かと話している時、言いたい言葉が直ぐに出て来なかったり、上手い言い回しが出来なかったり、時には、呂律が回っていないと感じることもある。人や物の名前が思い出せないのはまだ良いとしても、会話が上手く出来ないとなると・・・チョット心配になって来る。これってもう認知症への道を進み始めた証拠だろうか?

 日常的に話す相手はカミさんしかいない。しかし、カミさんは日中は仕事でいないので、夕食後に他愛もない話をするくらいで、他には、近隣の人とあいさつ程度の話をしたり、火曜の夜のバンド練習の時とたまにある飲み会の時くらいしか会話らしい会話をすることはなく、会話の機会はめっきり減っている。

 まあ、近場には昼日中から気軽に話ができる”茶飲み友達”はいないし、家で一人でブツブツ言うのは淋しいし、話し相手を探すのも面倒臭い。だから、必然的に会話の時間は減少の一途である。こうした状況では、認知症のゴールへ辿り着くのは意外と早いかもしれない。あ~怖い!


[No.26] 9.14 楽しい旅行

 12日(水)~13日(木)の1泊2日で甲府一高の同期生16名(男女各8名)で山形・赤湯温泉へ行ってきた。いやぁ~本当に楽しかった。(昨年は、宮城・作並温泉と山形・山寺などを訪ねた旅行だった)

 この旅行は、2008年から毎月行われている同期生のウォーキングが発展したもので、体力維持だけでなく文化的視野も広げることも目的に、昨年から始められたものである。とは言っても、気の置けない同期生と旅行し、酒を酌み交わし、色々な話に花を咲かせる・・・これが一番の楽しみかも。まあ、小さな修学旅行と言ったところか。

 今回の旅行では、赤湯の”烏帽子山八幡宮”を拝観し、本殿で宮司さんの話を聞き、お茶をご馳走になったり、高畠駅から”浜田広介記念館”までの”まほろばの緑道”の散策と記念館から駅へ戻り”高畠ワイナリー”までの散策、それに米沢駅から”上杉神社”までの散策など、久しぶりにかなりの距離を歩いた。それに、ビールやワインも沢山頂き大満足の二日間であった。

 旅行は東京駅を集合・解散場所としているので、自分は甲府からの往復となるが、旅行の楽しさを思えば全く苦にはならない。来年も絶対参加したい。そのためにも健康管理・体力維持には日頃から気を付けなければと思う。

 ⇒Memory [No.90]


[No.27] 9.19 好きなこと・もの

 人それぞれに何かしら”好きなこと・もの”があるだろう。そして、それをすることで、楽しめたり、リラックスできたり、集中できたり、好奇心が満たされたりして、日々の暮らしの中で満足感や充実感が得られるものだと思う。

 例えば、”旅行・ドライブ”、”スポーツ・ダンス”、”写真・音楽・美術”、”お酒・グルメ”、”バイク・自転車”、”仕事・研究”、”碁・将棋・麻雀”、”ペット”、”家庭菜園・園芸”、”編み物”、”何もしない”、etc. 正に千差万別である。

 ”好きなこと”は幾つあっても良いし、一人でするのも良いし、気の合った相棒や仲間とするのも良い。肝心なことは、肉体的・精神的・経済的に無理をせず、人に迷惑をかけないことだろう。それに、人生は間違いなく有限だから、自分の人生を充実したものとするためにも、”好きなこと”をドンドンやるべきである。

 高齢になって仕事や職から離れ自由な時間がたっぷりあるようになったら、何か”趣味”というものを持った方が良いのではないだろうか。”趣味”があれば、心も豊かになり、ボケ防止にもなる・・・と思う。
♪ My Favorite Things


[No.28] 9.29 名は体を表す

 ”老人”とか”余生”とかいう言葉は嫌いだ。老人=年を取り衰えた人、余生=余りの人生、という意味だろうが、年を取っても元気な人は多いし、充実した生涯を送る人も多いのではないだろうか。

 人間の宿命として、25歳辺りを過ぎると徐々に身体が衰え始め、還暦を過ぎる頃には体力的な低下は否めないが、頭脳的・精神的には、認知症などにならない限り、物忘れなど多少の記憶力の低下はあるとしても、普通に元気な高齢者は大勢いる。そういう元気な人を”老人”と呼ぶのは如何なものか。

 また、”余生”というのも、寝たきりや植物人間状態になってしまったならばそれは”余生”と言えるかも知れないが、年を取っても至極普通に生きている人の人生を”余りの人生”と言うのもどうだろうか。

 既に長い間使われて来ている言葉なので抵抗が無い人も多いだろうが、個人的にはかなり抵抗がある。自分には国語学者のような知能はないので替わりの言葉を見つけることは出来ないが、”老人”や”余生”という言葉を自分には使いたくない。

 言葉は大事だ。人生50年と言われた時代と今とでは世の中は大きく変わっているし、還暦に赤い帽子を被り赤いちゃんちゃんこを着る人も殆どいない。だから、高齢者に関連する色々な言葉も時代にマッチした言葉に変えても良いのではないか。 I don't want to be a "Ro-Jin" anyway!


[No.29] 10.10 ホームページの引っ越し

 このホームページは2001年3月の開設以来、ずっとYahoo!ジオシティーズの無料サーバーを利用させてもらっている。ところが先月末にジオシティーズから突然に「ジオシティーズは来年3月31日でサービスを終了するのでホームページを継続したい方は他のサーバーへ移行してください」というメールが来た。”えーっ! なんだこりゃぁ! 困るよ~!”と一瞬茫然!

 このホームページは以前 [No.24] で手を入れておいたので、早速、新しい無料サーバー(XREA)のアカウントを取り、移行も特に問題なく完了した。しかし問題は、別に管理している甲府一高44会のホームページだ。44会HPはジオシティーズのサーバーで6つのURLを使用しており、互いにリンクしているので、新しいサーバーのひとつのURLへ移行することはそう簡単ではない。

 そもそもジオシティーズはひとつのURLの限度容量が100MB(最初の頃は50MB)と小さく、記録内容が急速に増えた44会HPはURLを増やさざるを得なかったのだ。だから、移行する前に、各URLの全てのHTMLファイルのリンクやスタイルシートの設定などを見直す必要がある。これは非常に厄介だ。

 ちなみに44会HPは、ディレクトリ332個、HTMLファイル609本、写真4015枚、その他ファイル80本という現状である。

 それでも移行しなければ44会HPは消滅してしまう。折角これまで蓄積してきた貴重な資料が無くなってしまうことは到底納得できない。だから、まあ、面倒くさいが、やるしかない。少しずつやって行こう!(はぁ~っ)

 ジオシティーズを恨んでも仕方がない。それより、「長い間無料で使わせてもらえて有り難う!」と言いたい。

 ※先週の5日(金)~6日(土)は「いばら会ツーリング」だった。


[No.30] 10.20 健康診査

 11日(木)に甲府市総合市民会館で行われた集団健康診査を受けた。

 詳しい健診結果は6週間後に通知されるそうだが、当日の健診で分かったことは、身長:172.3cm 体重:65.3kg 腹囲:87.5cm 尿:潜血+ 血圧:高め ということ。(BMIは22になるので肥満ではない)

 腹囲の87.5は最近の運動不足によるものだろう。6月の左副腎摘出手術以降は暫く安静にしていたし、7月~9月は暑さが半端なかったので散歩も全くしていなかった、、、だからだと思う。

 尿の潜血は過去の検診でもいつも出ていた。でも、特段の変調も無いのでほったらかしにしている。酷くなってきたら泌尿器科へ行ってみようと思う。

 しかし、血圧が、1回目:160、2回目:139 と高かったのは意外だった。副腎手術後、血圧は安定していたので、最近はろくに血圧は測っていなかったし、運動不足と以前ほど塩分を気にしていなかったせいかも知れない。(看護婦さんに測られると何故か高くなってしまう傾向がある)

 気候も涼しくなってきたので、天気の良い日には散歩(時には山歩)に出かけたり自転車に乗ったりしよう。それに食事の塩分にも気を付けよう。そうすれば腹囲や血圧は自然と良くなってくるだろう? まあ、あまり深刻になってもしょうがないからね。♪Don't Worry, Be Happy!

※17日(水)に友人と久しぶりの山歩(塚原町~金子峠~大正池~千代田湖~白山~和田町。歩行距離約12km)をした。金子峠の登りはきつかった~!

※課題だった44会HPの引っ越しは18日に一応完了した。


[No.31] 10.30 1年365連休

 来年5月1日の新天皇の即位に際して、カレンダーでは10連休になるとのこと。サラリーマンや学生などは大喜びだろうし、観光業界にとっても大歓迎のことだろう。

 しかし、自慢じゃないが、自分は毎日休みの1年365連休だ。去年の6月末でシルバー人材センターの仕事を辞めて以来、いわゆる”仕事”と言うものは何もしていない。だから毎日が”休み”の1年365連休だ。

 通勤や仕事のノルマや仕事上の煩わしい人間関係などは全くないので、日々余裕をもってゆったりと過ごせるし、自分のやりたいようにやればいいのでストレスが溜まることは殆ど無い。まあ、唯一のストレスと言えば、民生委員関係のことくらいだ。

 やらなければならないことと言えば、趣味のトランペットの練習と各種イベントでのバンド演奏活動、ホームページの追加・更新作業、幾つかの家事仕事、それに、足腰鍛錬の散歩くらい。だから、のんびりゆっくりやればいい。焦ることは何もない。だって1年365連休なんだから。これはもしかして、”最高の人生”かも!?

※ハロウィーンの時期になると、2002年のボーンマスでのハロウィーンパーティーを思い出す。
 ⇒ Memory [No.53]


[No.32] 11.11 地元を歩く

 今日は地元・北新地区の「北新を訪ねて」という臨地研修に参加した。民生委員としての参加要請があったので嫌々参加したものだったが、天気に恵まれ、意外と面白く参考にもなった研修会だった。

 北新地区の研修会なのに集合場所は何故か朝日地区の御崎神社だった。それはさておき、開会式で主催者の話の後、御崎神社の宮司から神社の歴史等を聞いて、地元探訪に出発した。(♪ お御崎さんの神主が~ 一高応援歌)

 先ずは、太宰治の僑居跡の記念碑(朝日5丁目8-11)を見に行った。この碑は昔からあったようだが自分が高校生の時にもあったのだろうか?

 次に、国立病院機構甲府病院へ。外来病棟1階のロビーでプロジェクターを見ながら事務局長さんの説明を聞いた。色々と参考になった。

 国立病院を出て、旧陸軍歩兵第四十九連隊兵営跡の碑(県福祉プラザの西南隅)の前で当時の話を聞いた。次に、附属中学校奥にある山梨大学「赤レンガ館」を見に行った。その後、北新団地を見ながら北新小学校まで歩き、北新小校長から学校の歴史等を聞き、閉会となった。帰りがけにおにぎりとお茶と柿を頂いた。

 ”北新”は、一般的に”きたしん”と読むが、北新小学校は”ほくしん”と言う。初代校長の意向だったそうだがまったく紛らわしい! 北新小の前身は北中(現在は大和町)だったそうだ。

 北新地区に住み始めて4年半、地区の歴史等が分かり大変参考になった。この研修会の模様は、甲府CATVの11チャンネルで甲府市の番組として2週間放映されるとのこと。但し、来年の2月頃だそうだ。

 ⇒ 参考写真(OneDrive)


[No.33] 11.21 プリンター要らず

 先日、交通事故の保険請求の手続きで、事故ったバイクの写真を提出する必要があった。写真は OneDrive に保管してあるのでいつでも取り出せるのだが、問題は印刷手段。

 プリンター(Canon PIXUS iP4200)は本当にたまに白黒印刷で使うだけだったので、黒インクは多少残っていたがカラーインクは全て空っぽのままだった。写真となると当然カラーでなければならないし、写真専用の用紙も必要になってくる。でも、インクカートリッジはセットで3千円は下らないだろうし、写真用紙も安くはない。

 そこで、ネットで見つけたのが netprint (Fuji xerox) だ。どんなものか試しに使ってみたが、これはチョ~便利! 近くのセブンイレブンまで行く手間(徒歩3分)はあるが、カラー写真がL版1枚30円、Excelシートの印刷がA4白黒1枚で20円。画質等は全く問題なし。世の中便利になったね。(後日、Wordファイルも試してみたが問題なし。でも、テキストファイルはそもそも登録できなかった。)

 普段から色々と印刷するなら、自宅プリンターのほうが便利だろうが、たまにしか印刷しないなら、netprint で十分だ。ということで、自宅プリンターは近いうちに断捨離、、、かな?


[No.34] 12.2 健診結果~年末

 10月11日に受けた特定健診の結果は3週間後に届くと聞いていたが、自分の場合は結果票ではなく、健康相談を受けるようにとの通知票が届いた。

 指定の日時に市の保健センター(相生小跡地)へ行き、担当者から健診結果の説明を受けた。問題点は、血圧と尿潜血と悪玉コレステロールの3点だった。

 血圧は6月の左副腎摘出手術以降は大丈夫だと思っていたが、また毎日血圧を測り様子を見ることになり、尿潜血は以前からもあり軽度なので経過観察となり、悪玉コレステロールも基準値を少しオーバーしている程度なので、食事や運動不足に気を付けることを指導された。まあ、それ程心配することはないだろう。今後の留意点の指導を受け半年後の目標を書かされた。半年後に達成状況の確認通知が来るそうだ。

 それはそれとして、2018年ももう12月だ。1年が本当に短く感じる。昨日は以前メンバーだった大学OBバンドのコンサート(新大久保)を聞いた後、大学バンド同期7名での楽しいOB会(浅草橋)だった。次回OB会は来年7月11日の黒部・宇奈月温泉に決定! 楽しみだな~ (^_^)

 忘年会はあと4回予定がある。風邪などひかないように楽しい年末を過ごしたいネ。


[No.35] 12.12 民生児童委員に思う

 2016年(平成28年)12月1日から民生児童委員をやっている。毎月の地区協議会例会と各種研修会等への出席の他は特別難しい事案も厄介な対応も無く2年が過ぎた。3年の任期なので(健康状態が悪くなるか転居でもしない限り)あともう1年はやらなければならない。でも、出来れば次は誰かに代わって貰いたい。

 ところが、何せ123戸ある新設の市営アパートなので住人の中に適当な人がいるのかどうか全く分からない。心当たりのあるのは前の自治会長だった40代の女性だが、どうも年配の女性陣の評判が芳しくないようで、どうしようか悩んでいる。来年4月の団地自治会総会で話してみようと思っているが、どうなることやら。交代できなければまた3年やらなければならない。

 しかし、民生児童委員の業務は、本来は個人情報を把握している行政が行うべきものだ。大正6年に岡山県で誕生した「済世顧問制度」が始まりで昭和23年に今の制度になったそうだが、今は個人のプライバシーが優先され、昔のように深く関わることは難しく対応には限界があり、民生児童委員の制度自体が現代社会に適応していない。社会福祉協議会という(公務員の天下り先?)組織があるのだから、そこで専門職を増やしてきめ細かに対応し、地域の自治会組織を活用すればいいのではないか、と思う。

 民生児童委員は無報酬の特別職地方公務員とされている。しかし、どういう名目かよく分からないが、年に59,000円が支給され、その他に支給されない6,760円(各種負担金等)の経費も掛かっている。全国には約23万人(甲府市は445人)の民生児童委員がいるそうだが、その総額は相当なものになる。もっと有意義な使い方を検討するべきだ、とも思う。

 


[No.36] 12.22 Good Bye! 2018

 2018年もあと少しだ。今年も色々あったが何とか平穏に終われそうだ。八百万の神々に感謝しよう。

 巷では”平成最後の・・・”という言葉をよく耳にするが、日本人にとって年号が変わることは、一種の気分転換という感じもあるが、自分が生きた年号が終わってしまうという淋しさを感じるものでもある。”昭和”も段々と遠くなっていく。

 しかし、いずれにしても、時間は止まらない。残り時間がどのくらいあるのか分からないが、悔いの無い人生を送りたいものだ。

 人生と言えば、この歳になってくると自分の人生を振り返ってみたくなる時がある。そんなことから、ホームページに”人生写真集”のようなものを作ってみた。正に「光陰矢の如し」である。

 忘年会もあと2回。飲み過ぎないように楽しい年末を過ごしたい。そしてまた来年も平穏な1年になることを神々に願おう。


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