Long and Winding Road

= Yearly Thought =

2024.10.23 (My 74th Birthday in Kofu)

 この1年で高校同期の2人と大学バンド同期の1人がこの世を去ってしまった。高校同期の1人は高校の1年だけ一緒だったが、もう1人は2年程前に酒を飲んだこともあった。大学のバンド仲間は2年前の秋の甲府OB会の時は元気だったが、今年の1月に急逝してしまった。

 人間は誰もいつか必ず死ぬことは分かっている。でも、いま付き合えている高校や大学時代の友人たちとはできるだけ長く元気に生き続けたい。それが生きる楽しみのひとつにもなっている。

 離婚後は一人息子とは音信不通で、結婚しているのか子供がいるのかも全く分からない。だから、可愛い孫と遊んだりして楽しむなんてことは夢のまた夢である。

 息子や孫がいないから友人たちと楽しく付き合えているのかも知れないが、友人たちがいなくなってしまったら淋しくなるだろうし、生きる気力も無くなるかも知れない。

 今までに時々は自分の死期について考えたこともあったが、成るようにしか成らないので深刻に考えることはもうやめた。でもまあ、何とか88歳まで生きることを目標にはしている。

 

2023.10.23 (My 73rd Birthday in Kofu)

 去年の10月末に3年振りの明大BSS・OB会が甲府で開催できた。集まったのはメンバー6名と同伴者2名の8名で、いつもよりちょっと少なかったが新型コロナが完全に収まっていない中ではこれで良しだった。

 11月には5年前のバイク事故で骨折した左手の2か所の金具の抜釘手術を行ったが、ネジが1本だけ残ってしまった。手術前より握れるようにはなったが、力を入れると中指に痛みもあり完全回復とはなっていない。

 今年の5月には6泊7日の東北周遊ドライブ旅行へ行ってきた。東北各地を色々と訪ねられただけでなく、盛岡の横沢宅と花巻の菊池宅へ泊めてもらい旧交を温めることもでき、とても素晴らしい充実した一人旅だった。

 5月から新型コロナが第5類に変更されマスクの着用は個人判断になったので、病院以外では一切マスクは着用しなくなった。夏は頻繁な降雨と異常なほどの高温で、ロクに外へ出ることができず最悪の夏だった。

 9月末からカミさんと瀬戸内四国周遊ドライブ旅行へ行ってきた。まあ、悪くはなかったが一人旅のように自由気儘な行動はできなかったので、次に予定している九州一周ドライブは一人で行くことに決めている。九州を回れば「47都道府県完全制覇」の残りは和歌山県だけなので、その時はまたカミさんを連れて行くつもりだ。

 まあ、そんなこんなで割と良い1年だったと思う。73歳の1年もまた良い年になるよう、健康に気を付けて積極的に行動していきたい。

 

2022.10.23 (My 72nd Birthday in Kofu)

 この1年もまた新型コロナに翻弄された1年だった。年初からの第6波も6月頃に終息かと思われたが、7月からの第7波では猛烈に感染者が増え、あまりの増加にどうなるのか不安になったものだ。9月以降は減少傾向になったが、まだまだ終わりは全く見えない。また次の波が来るかも知れない。

 そんな中で、バンド活動はかなり制限され、不満の残る1年だった。ただ、家でのトランペット練習はほぼ欠かさずにやってきた。他には、いばら会の1泊ツーリングに2回行けたことはせめてもの慰めだったし、気の合う仲間との山歩や飲み会やカラオケも何回か楽しめたことはコロナ禍の中での幸せであった。また、100km超えの長距離サイクリングが実現できたことも嬉しいことであった。

 今一番に気を付けていることは健康のこと。体力低下を少しでも防ぐため、サイクリングや山歩に積極的に出かけるようにしている。また、ボケ・認知症の予防のために、パソコンを使ってのホームページの維持・更新なども継続してやって行きたい。また、トランペットを吹くことは肺機能と腹筋の鍛錬と指先の運動だけでなく、楽譜を覚えたり演奏方法を考えたりすることでアタマの刺激にもなるので今後も続けて行くつもりだ。

 兎に角、何事も無理をせず、臨機応変にやって行こうと思っている。

 

2021.10.23 (My 71st Birthday in Kofu)

 70歳の1年も新型コロナウイルスに翻弄された1年だった。とは言え、旅行もできて、1歳前に比べれば格段に良い年だったと思う。

 先ずは、去年の11月にカミさんと一緒に、京都、奈良、姫路城へ旅行できたこと。GoToトラベルが使えたのでチョットお得だった。

 また、今年の10月に一人で北海道をレンタカーで一周したドライブ旅行は、事故やトラブルもなく70歳の節目に凄くいい経験ができた。

 コロナワクチンは7月に2回の接種が完了し、一応の安心感は得られた感じだ。でも、前よりも行動の範囲や自由度が増したとは言え、当分はマスク着用と3密回避には気を付けなければならない。

 バンド活動は低調だった。1年でたったの2回しかライブ演奏がなかったし、練習自体も思うように実施することができなかった。でも、トランペットは家で毎日30分程度は吹いている。

 バイク事故の手術で入れられた両手の金具の抜釘手術は、コロナ禍の中で病院へ行くこと自体が厭われるような状況だったので、今年は諦めて来年には何とかしたいと考えている。

 山歩やサイクリングは結構楽しむことができた。これからも続けられるよう、足腰の筋力の低下を防ぎつつ健康に気を付けて過ごしていきたい。

 

2020.10.23 (My 70th Birthday in Kofu)

 とうとう未踏の70代に突入する。今後どうなるか全く分からないが、それはそれとして、60代最後の1年は、新型コロナウイルスの影響が大き過ぎて、思った活動が出来ず余り良い年ではなかった。

 年が明けた2月頃に新型コロナウイルスが騒がれ出し、瞬く間に世界中に感染が広がった。日本でも緊急事態宣言が発出され、宣言解除後も行動自粛が常態化し、旅行にも行けず、外食や飲み会は躊躇され、外出や買い物にはマスクが必須となり、バンドの練習もままならず各種イベントも中止された。

 そんな中で、3月に購入した電動アシスト自転車で甲府盆地をあちこちサイクリングしたことは、コロナ・ストレス解消の一助となった。また、友人と山歩したことも良い気分転換になった。ただ、7月の長梅雨と8月の猛暑日が続いた時期は殆ど巣ごもり状態だった。今年の夏は異常気象と言える天気だった。

 健康的には高血圧(降圧薬1日1錠服用中)以外は特に問題はなかったが、3年前のバイク事故で入れた金属プレート(右手首1本、左手の甲2本)の抜釘手術を考えている。しかし、今は兎に角、コロナ・ワクチンが早く出来ることを願う。残り少ない時間を無駄にしたくない。
※日本人男性の平均寿命:81.41歳(2019年)

 

2019.10.23 (My 69th Birthday in Kofu)

 69歳の誕生日は、ちょうどカミさんの母と兄が上海から来日滞在中だったので、3人からワインとケーキで祝ってもらった。

 しかし、何ともう69歳。世間的には完全な老人だろうが、自分の気持ち的には年を取った青年の感覚でしかない。肉体的には間違いなく衰えてきているが、絶対に老人とは言われたくない。確かに、考え方やものの言い方は若いころに比べ少しは丸くはなっていると思うが、保守的な考え方にはどうしてもなれない。

 身だしなみやお洒落にも(ある程度は)気を使っているし、ジャズ・ビッグバンドでトランペットを吹いたり、パソコンやスマホもちゃんと使え、ホームページもいくつか維持・管理している。高校の同級生や大学のバンド仲間との旅行などにも積極的に参加している。

 勿論、認知症や癌や病気の心配もある。また、体力低下はどうしようもない。だから、健康や食事には気を使っているし、十分とは言えないが出来るだけの運動(散歩、山歩、ラジオ体操)もしている。

 いずれいつかは死ぬことは間違いがない。でも、まだ暫くは死にたくはない。やりたいことが色々ある。だから、これからも積極的に生きていこうと思う。

 

2018.10.23 (My 68th Birthday in Kofu)

 67歳の1年間は健康的・身体的に最悪の年だった。何と言っても、昨年11月9日のバイク事故。バイク事故で怪我をしたのは高校の時(肋骨にヒビ)と大学の時(額を切り縫合手術)の2回あったが、それ以来の大きな酷い事故だった。(クルマでは、24か25歳の時、居眠り運転のトラックに正面衝突された大事故があった)

 バイクは社会人になってからも乗っていて、40代以降は、長距離(岩手・秋田)や林道を走ったり、2011年からは「いばら会」を結成して一泊ツーリングをしたり、ずっと無事故で楽しんできた。しかし、”一瞬の不注意”で事故ってしまった。

 ところが、この事故の瞬間については全く記憶が無いのだ。実は、衝突・転倒の衝撃で”脳震とう”を起こし意識不明状態になってしまい、気が付いたのは北杜市長坂町の事故現場から甲府の県病院へ向かう救急車の中だった。記憶があるのは、事故現場の白井沢交差点の右折レーンへ入ったところまでで、そこから救急搬送中に目が覚めるまでの間のことは”完全記憶喪失”になってしまった。

 幸いに頭の方はヘルメットは凹んだが事なきを得た。しかし、両手の怪我は酷い(全治3か月)ものだった。特に左手は酷くて、3か月のリハビリの甲斐もなく、まともに動くようにならず、現在も日常生活では不便を強いられている。でも、トランペットが何とか吹けているのは不幸中の幸いだ。

 バイク事故の他にも、高血圧治療で左副腎摘出手術を6月5日に受けた。これは昨年11月14日に行う予定だったが、その直前にバイク事故を起こしてしまい延期されていたものだ。

 しかし、この手術には参った。手術自体は全身麻酔だったので何ともなかったのだが、手術後の処置は、3か所の腹腔鏡の切除部分を抑えるサポーター(腹巻)の他に、左手首の点滴、お腹の血を抜く管、尿道の尿を抜く管、それに、両足ふくらはぎのポンプマッサージ装置が取り付けられ、寝返りはできないし、マッサージ装置が数秒間隔で締めたり緩めたりするので一晩中全く眠れなかった。もう手術は懲り懲りだ。

 また、4月頃から2か所の歯が痛み出したので歯科医院にも通った。歯医者は抜歯を勧めたが、当面は抜かずに経過を見ることにしてもらった。それで最近は歯間ブラシを使ったり歯磨きを念入りにやっている。元々歯並びが悪いのは仕方がないが、歯は出来るだけ抜かないようにしたい。

 とまあ、こんな1年間ではあったが、地元のバンド(Swing Bird Jazz Orchestra)を楽しんだり、明大BSSの同期OB仲間と花巻温泉に泊まったり、甲府一高OBのバイク仲間「いばら会」の一泊ツーリング(ただし、クルマでの参加だった)や一高同期生と一泊旅行したり、楽しいことも色々とあった。これからも健康に留意して、たった一度の人生を死ぬまで楽しく過ごして行きたい。

 

2017.10.23 (My 67th Birthday in Kofu)

 以前から気になっていた高血圧の対策として降圧剤を飲み始めると同時に、高血圧の原因究明を行った結果、「原発性アルドステロン症」(副腎からアルドステロンというホルモンの過剰分泌で血圧が上がる病気)と診断された。

 1日1錠の降圧剤服用で血圧は安定していたが、原因の病気を治さない限り一生服薬を続けなければならないと言われ、国立病院の担当医と県病院の紹介医と、検査・相談・検討を続けた結果、分泌過多の左副腎を摘出することを決断した。手術は11月14日に県病院で行うことになった。上手く行ってくれることを願うばかり。

 中央公民館でやっていた仕事は、4月から家の近くの北東公民館の方に変更して貰ったが、公民館の館長やシルバーの同僚との考え方の相違で6月一杯で辞めてしまった。それ以来、完全年金生活(サンデー毎日)が続いている。

 9月には久しぶりに海外旅行(西安、上海)に行ってきた。かねてより一度は実際に見たかった「兵馬傭」を見学することができて良かった。上海ではカミさんの家族と一緒に楽しく過ごすこともできて、色々と面白い経験ができた。やっぱり海外旅行はいいものだ。

 トランペットはほぼ毎日吹いている。毎週火曜日夜のバンド練習の他、色々なイベントでの演奏があって充実した音楽活動(趣味)を楽しんでいる。

 バイクの方は、年2回の「いばら会一泊ツーリング」の他、気が向いたときにあちこち走り回っている。しかし、歳を取って来ていつまでもバイクに乗っていることも出来なくなってくると思うので、来年か再来年の夏に「北海道一周ツーリング」を実現してバイクを卒業しようと考えている。

 今年は免許証の更新年、苦節9年を耐え2度目の「ゴールド免許」になった。次の更新は72歳。元気に生きていられるかな?

 「人生は一度だけ、しかも短い。だから、死ぬまで自由に生きる。」

 

2016.10.23 (My 66th Birthday in Kofu)

 この一年も大過なく過ごせて幸いだった。最悪の相棒との市役所の嘱託が3月で終わり、4月から9月までの半年間は本当に自由気ままな無職年金生活を送っていた。(カミさんの文句は多少あったが)

 しかしながら、何か小遣い稼ぎのバイトでも探したほうが良いかなと思っていたら、ちょうどタイミング良く、シルバー人材センターから中央公民館の管理業務の仕事が舞い込んできた。

 仕事は10月からで、毎週水曜日の夜間(17:15~22:00)と毎土日及び祝日の前半(8:30~15:15)か後半(15:15~22:00)を1コマで、月に約10回の勤務がある。収入は時給800円で月4万円前後で、嬉しい小遣いになる。月曜~金曜の昼間は勤務がないので、今まで同様に自由に過ごせる。(カミさんの文句もなくなる)

 大きな変化と言えば、2011年9月から5年間続けていた明大BSSのOBバンドを9月末で退団したこと。可能な限り続けて行くつもりでいたが、大先輩との認識の食い違いがあってバンドへの愛着がなくなってしまった。未練はあったが・・・まぁ仕方がない。

 でも、トランペットはずっと吹き続けて行きたい。4月以降、マウスピースを変えたり、唇の当て方を変えたりして、毎日コツコツと練習して来た甲斐もあり、やっとまともな音を出せるようになって来た。高音も徐々に出せるようになって来て、ちょっとした進歩を感じている。今後は地元のバンド(Swing Bird Jazz Orchestra)でBig Band Jazzを楽しんで行きたい。

 最近考えることは、如何に自分の人生の終末を迎えるかということ。上手い具合にフェードアウト(fade-out)できれば・・・と思う。しかし、こればかりはどうにもならない。天命を待つしかない。だから、その時までは健康を維持して自分の思いどおりに生きて行きたい。たった一度の人生なんだから。

 昨年の12月から甲府市の民生委員をすることになった。出来ればやりたくなかったが、今の民生委員さんから強く頼まれ、地域への貢献も大事なことだと思い引き受けた。任期は3年。

 

2015.10.23 (My 65th Birthday in Kofu)

 とうとう65歳。白髪交じりの髪の毛もだいぶ薄くなり、少しずつ肉体的な衰えも感じるようになってきた。通勤で甲府駅北口から市役所まで歩き、4階まで階段を上っているのだが、以前に比べ少し疲れを感じるようになってきた。血圧も少し高いのが気になっている。

 まあ、しかし、仕事の同僚との関係が最悪なのを除けば、この1年も何とか平穏に過ごせて来られたと思う。今の予定では、来年の4月からは100%年金生活者になる。何か仕事を見つけて小遣い稼ぎくらいはしたいと思っているが、なるようにしかならないと思う。

 兎に角、何事にも億劫がらずに積極的に取り組んでいきたい。バンドにしてもバイクにしても、また飲み会や地域の活動などにしても、多様な人間関係を持つことが大切なことだと思う。そして、そのためには、心身ともに健全でなければならない。だから、普段から食事や運動などに気を使いつつ、ストレスを溜めないようにすることが肝要だと思う。

 この歳になると、いつ死ぬのかとか、認知症になったらどうしよう、病気で寝たきりになったらどうしようとか、色々と心配事もあるが、あまり心配してもしょうがない。その時が来るまで一日たりとも無駄にしないように過ごして行きたい。
 Don't stop until I die.

 

2014.10.23 (My 64th Birthday in Kofu)

 63歳の1年間は思いのほか運の良かった1年だった。失職にもめげず真面目にやっていたから、神様が少しご褒美をくれたのかも知れない。苦あれば楽ありと言うところか。
 ところで、最近考えるようになったことだが、充実した人生を送るために大切なものとは何だろうか。人それぞれだと思うが、自分にとっては「経済的安定」と「良好な人間関係」と「健康」が最も大事なものだと思う。このどれか一つでも欠けてしまうとつまらない人生になってしまう気がする。
 勿論、「経済的安定」と言っても大金持ちになって贅沢をしたい訳でなく、衣食住について人並みの暮らしが出来る程度の経済的な裏付け(貯金、年金、勤労所得など)があることであり、「良好な人間関係」とは自分の周りにいる様ざまな人々(家族、親戚、友人、知人、バンド仲間、仕事仲間など)と仲良くすることである。
 そして、特に大事だと思うことは、肉体的にも精神的にも「健康」であることだ。生きている限り、自分のことは全て自分で出来る人間でありたいし、何事も前向きに考え積極的に行動する人間でありたいと思う。
 自分の周りで既に何人かの同級生が他界している現実を目の当たりにすると、否応無しに自分の「死」についても考えてしまう。しかし、「死」の不安に慄きながら生きるより、いつ死んでもいいように、やりたいことをやっていく人生を送ったほうが良いだろうと思う。
 いつ死ぬか分かればそれなりに計画的に過ごせるだろうが、いつ死ぬかは神のみぞ知ること。残り少ない時間を大切に過ごしたい。そして、家族などに迷惑をかけずに自分の人生を終わることが出来れば幸せだ。しかし、そう上手く行くのだろうか?認知症にでもなったら最悪だ!!
 You can’t help getting older, but you don’t have to get old.
 高齢者になっても老人にはなるな!

 

2013.10.23 (My 63rd Birthday in Kofu)

 この1年もいろいろあった。予想外だったのは甲府へ戻ってきたこと。去年6月に横浜から熱海へ引っ越し、8月にオープンした障害者グループホームの施設長として働いてきた。当初は入居者が3名でなかなか定員(7名)に達せず、上層部からの注文がうるさかった。しかし、今年の4月以降、順次入居者があり6月には満員となって経営的見通しがついてきたところだった。ところが、その途端の「上司や同僚と仲良くできない」という理由での実質解雇。暑いさなかの引っ越しはもう嫌がらせと言うほかはない。そして離職票の「自己都合退職」の記載。驚きとともに悔しさもあったが、逆にそんな法人と早々に縁が切れて良かったと思っている。
 そして、暑いさなかに捜した住まいは、甲府市飯田4丁目の一戸建て。2階建て2LDKの30年経った住宅だが、内部は全てリフォームされている。多少の問題点(全体的に部屋が小さい。建具の建て付けが悪い。近くに県立中央病院があり救急車の通過が多く夜間は結構うるさい。)はあるが、住めば都だろう。
 しかし、この歳になると簡単に仕事は見つからない。幸いにしてシルバー人材センターから甲府市総合市民会館の夜間管理(17:15~22:00)の仕事が回ってきた。週2回の勤務だから小遣い稼ぎ程度にしかならない。それでも社会との繋がりが保たれていることに意味があると思っている。これからまた何かいい仕事が回って来るかも知れないし回って来ないかも知れないが、何にせよ仕事をしていることが大切だと思う。
 でも、もちろん仕事も大事だが健康に生きることの方がもっと大事だ。そして、好きなことを好きなだけやっていければ、それが一番の幸せだ。まずは、トランペットをものにしてOBバンドでの演奏を楽しむこと。次に、バイク(4月に新たに購入したCBR250R)を乗り回し時々は仲間とツーリングに出かけること。そして、同級生のウォーキングに出来るだけ参加すること。それから、旅行(国内及び海外)に出かけること。等々。他にも何かやりたいことが出てくるかも。
 とにかく、健康で好きなことをやって長生きできることが人生最大の喜び。目標は喜寿かな。
 Learn from yesterday, live for today and hope for tomorrow.

 

2012.10.23 (My 62nd Birthday in Atami)

 またまた大きな転換があった。去年の4月から今年の3月までの約束で採用されたNPO法人の仕事だったが、法人のオーナー氏等に気に入られ4月以降も引き続き働けることとなり、6月に静岡県熱海市(生活圏は神奈川県湯河原町)の施設建物内へ引っ越し、8月に開設した障害者ケアホームの施設長として働いている。(いわゆる住み込み)
 施設の利用定員は7名だが今はまだ4名の利用者しかいない。知的障害者と精神障害者、男性と女性、30代~70代、と様々な人たちが共同で暮らしている。彼らやその家族が安心して暮らせる環境づくりが私の仕事であるが、利用者4名では施設経営的には非常に厳しい。日常生活の中で大変な時もあるが、彼らの笑顔を見ると充実感もある。
 甲府市役所勤務時代に1年間(1998年)だけ障害福祉の仕事を経験したが、あの当時とは法律も変わり障害者への接し方も障害者虐待防止法等により格段にきめ細かな対応を要求されるようになってきている。しかし、その基本的考え方は、障害者に対して(その障害を認識しつつ)普通に接すれば良いということである、、、と理解している。
 オーナー氏はこの仕事を70才までやって欲しいと言っているが、まだ色々とやりたいこともあるので自分では65才を次の転換点にしたいと考えている。いずれにしても健康第一。施設ではエレベーターは使わず階段を上り下りして足腰の衰えを少しでも防ぐように頑張っている。トランペットも毎日吹くようにしている。毎月1回新御徒町のスタジオで練習(湯河原からの往復は疲れる)があり、来年6月にはOBバンド独自の演奏会が新大久保のホールで予定されている。残り少ない人生だから、無理せず楽しく暮らしていきたい。
 Enjoy the rest of my life !

 

2011.10.23 (My 61st Birthday in Yokohama)

 やはり持つべきは良き友。2003年に横浜の仕事に誘ってくれた高校時代の友・武内君。そしてこの4月からの仕事に誘ってくれた大学時代の友・横沢君。高齢者の就職は非常に厳しいこの時代に本当に有り難いことだ。1年前には、年金とアルバイトで何とか暮らして行こうと考えていたが、4月からフルタイムの仕事に就けたことは幸運だった。来年3月までの仕事だけれども、ここで生まれた新たな人間関係が次の何かに繋がることもある(かも知れない)。
 自分のこれまでの人生を目を閉じて振り返ると、いつも周りには良き友(同僚、先輩、後輩、その他)がいて、それらの友との関わりの中でここまで生きて来られたとしみじみ思える。ともすると自己中心的で天の邪鬼的な性格の自分にとって、自分の人生は自分一人で切り開いて来たように思えた時期もあったが、それは錯覚だった。歳とともに視野が広がり考え方も「ま~るく」なって来たのだろうか。
 考え方が丸くなってくると行動も鋭角的でなくなって来るような気がする。しかし、死ぬまで元気で能動的でありたい。やりたいことはまだまだ色々ある。
 9月から始まった大学のOBバンドは大きな楽しみである。特に、中学時代からの念願であったトランペットへの転向が認められたので本当に嬉しい。これを機会にこれからも「なが~く」吹き続けたい。
 海外旅行にも行きたいし、外国の友にも会いたい。車やバイクで国内周遊もやりたい。それから、それから、、、あまり書くと笑われそうだな。
 まあ、何をするにも健康一番。足腰が弱くなってしまったら何もできなくなってしまう。日頃からできるだけ歩くように心掛けているが、、、寄る年波には、、、。
 Be young at heart !

 

2010.10.23 (My 60th Birthday in Yokohama)

 いわゆる還暦を迎えた。何とかここまで来られたことは幸せだ。八百万の神に感謝!
 今年の4月9日までは一般的で安定的な生活が保てていたが、4月10日以降今日に至るまで、毎日が日曜日の生活になってしまった。良いような悪いような!?
 ハローワークへは4週間に最低2回(失業給付の給付要件)は仕事探しに出掛けていて、今までに2回求人に応募したがいずれも駄目だった。(最近は応募したくなるような仕事は全く無い。)失業給付は当初180日間の予定だったが、60日間の給付延長が認められ、12月中旬まで支給されることになった。その後も仕事が見つからなければ無収入になってしまう。
 しかし、幸いに来年からは年金が支給されるようになる。ところが、いろいろ調べてみると、どうも思ったほどには年金は支給されないようだ。
 60歳からの支給額が少ないことは前から理解していたが、65歳以降も年金収入だけで暮らして行くのは結構厳しそうだ。だから、今のうちに何でもいいから仕事を見つけて、少しでも貯蓄を増やす(あるいは貯蓄の目減りを防ぐ)必要がある。もう仕事の選り好みを言ってはいられない。
 65歳まではとにかく倹約倹約。でも、元気なうちにやりたいことはやりたい!
 Time and tide wait for no man. 歳月人を待たず。

 

2009.10.23 (My 59th Birthday in Yokohama)

 とうとう59歳。50代もあと1年。そして来年は、何と、、還暦!
 あ~やだやだ。歳は取りたくない。とは言っても、こればかりはどうにもならない。天命と諦めるしかない。ふぅ~。
 この一年を振り返ると、大きな変化があった。それは再婚したこと。今まで再婚は考えていなかったが、今度のパートナーは外国人ゆえ、ビザの関係上、結婚が必須だった。真のグローバル化はまだまだ遠い。
 もうひとつの変化は、クルマを買い換えたこと。古い車を廃車にしてエコカーを買うと、補助金が出たり、さらに税金がやすくなったりと美味しそうだったから。で、ホンダの白い軽バンがダイハツの赤いミラ(5速MT)になった。普通車も考えたけれど、軽で十分だもんね。(飛ばしたいときはバイクがある!)
 そしてひとつ大きな問題。今の勤務先の二子玉川園スポーツセンターが来年の3月一杯で閉鎖になり職を失ってしまうこと。派遣会社が次の仕事を見つけてくれればいいけど、歳が歳だけにどうなることやら。ふぅ~。
 年とともに身体は老化し白髪も増えてきた。でも、幸いにして何とか健康ではある。元気に長生きをモットーに平穏に暮らしていきたいものだ。
 Mild Life, Happy Life.

 

2008.10.23 (My 58th Birthday in Yokohama)

 あっという間の一年。Time flies so quickly! 大波あり小波あり、静かな凪状態はなかなか続かない。ただ比較的良好な健康状態を保てていることが最大の喜びかもしれない。
 2003年8月末に横浜へ移り住んで早5年が過ぎた。楽しかったこと、辛かったこと、いろいろあったが、自分で選んだこの人生が自分の運命だと思うしかない。今後どう展開して行くのか見当もつかないし、自分の思うようにいかないことも良く分かっている。でもただボケッと生きていくのは厭だ。チャレンジ精神を失わないように前向きに生きていきたい。
 歳を取るとともに否応なく「死」が迫ってくる。いつか死ぬことは人間の宿命だから仕方がないが、死を迎えるまで自分の思うように好きに生きていきたい。
 これからまた何度となく大波が打ち寄せることだろうが、健康な身体と強靭な精神力を維持して乗り越えていかなければならない。
 幸いにして、自分には良き友や仲間もいる。自分一人で生きているように見えるが、いろんな人間関係があってこその人生だと思う。人との付き合いを大事にして頑張っていこう。「苦あれば楽あり」
 Someday my happiness will come.

 

2007.10.23 (My 57th Birthday in Yokohama)

 また1年が過ぎた。可もなく不可もなく、割と平穏な1年だったと思う。
 甲府一高東京同窓会(7.21)に向けての準備では、「甲府一高44会」のホームページを開設しその管理とイベント関係を担当した。準備会では他のメンバーとよく対立して嫌気もあったが、最終的には概ね満足できる結果に終わって良かった。ホームページは今後も続けていくつもり。
 ひとつ悔やまれたのは、高校のブラバン時代からの友人・吉井政樹の死(9.17)。去年の春、東京の病院に入院し、夏には元気に退院したのに、まさかこんなに急激に悪化するとは思いもよらなかった。訃報を聞いたその夜は、さすがに泣けた。出来る限り甲府へも見舞いに行ったが、帰らぬ人となってしまった。誰しもいつかは死を迎えるが、57歳は早過ぎる。特に結婚してまだ6年の彼には早過ぎた。神は無慈悲だ。
 今も癌で闘病中の正家のバンド(MJO)でのトロンボーンの代役は去年一杯で終わった。経緯はどうあれ貴重な経験をさせて貰った。でも、もうトロンボーンを吹くことはないだろう。そのかわり2月からギターを始めた。いつまでという期限はないからぼちぼちやっている。ギターの弾き語り(弾き歌い?)が目標。
 3年後は60歳。還暦。若い時には考えもしなかった時期が着々と近づいてくる。

 

2006.10.23 (My 56th Birthday in Yokohama)

 多分55歳の前半は自分の人生で一番悩み苦しんだ時期だったかもしれない。自殺する人の気持ちがなんとなく分かったような気がする。でも、後半は何とか仕事(専門学校で学んだ分野とは全く違ったが)も見つかり、最悪の状態から抜け出すことができた。
 仕事は偶然に派遣会社から舞い込んできた一通のメールがきっかけだった。二子玉川にあるスポーツセンター(テニスコートと野球場の貸し出し)の仕事だが、時給も高く4月から働き始めることができた。今は仕事にも慣れて、心身ともに安定した日々を送れていることが何よりも幸せだ。
 それにしても、中学時代からの盟友の正家が咽頭癌の手術をして、彼のバンド(Mondaynight Jazz Orchestra)で彼の代わりにトロンボーンを吹くことになったのは思いがけないことだった。50歳で渡米する時に35年のトロンボーン経歴に終止符を打ち楽器も売ってしまったのだから、、、。
 10月には久しぶりに職場の健康診断を受けることができた。結果は概ね良好。尿に潜血があったが、気になっていた検便は異常なし。別に受けた大腸癌検診(郵送による検便)でも陰性(異常なし)だった。12月には派遣会社の健康診断を受ける(2度うけても仕方がないがタダだから)。これでまた尿に潜血反応があったら精密検査をしてもらおう。
 自分もいつ癌や病気になるか分からないが、健康で生きていけることが一番の幸せだと思う。甲州弁の「馬鹿でも達者でようごいす。」が身に染みる。
 A sound mind in a sound body.

 

2005.10.23 (My 55th Birthday in Yokohama)

 園芸店の店長は成績不振の責任を感じて5月一杯で辞めてしまった。専門的知識の足りなさもあったが、やはり向いていなかったと思う。でも、経営の難しさが分かっただけでも勉強になった。
 退職後は、6月末から2週間、ドイツとスイスへ行ってきた。友人に歓迎して貰えて思い出に残る旅行が出来た。8月には岩手と秋田の友人を訪ねて灼熱の中をバイクで出掛けた。これも良い経験だった。8月中旬には韓国の友人が遊びに来た。短期間の滞在で日本の良い印象を与えられただろうか。
 仕事のほうは、9月から本格的に就職活動を始めて、3か所応募してみたが結局駄目だった。この歳ではなかなか難しい面があることは確かだ。で、今は新たな目標に向けて、11月からは専門学校へ3か月間通うことも決まり、これを最後のチャレンジとして一生懸命に頑張るつもりだ。
 しかし、今年の9月と10月は最悪だった。精神的な圧迫感からとんでもないことをしてしまった。我が人生最大の過ち。何故あんなことをしてしまったのか日々悔やむばかり、、、。人間は一人でも生きていけるだろうが、孤独感と悲愴感に打ち勝つ強靱な精神が必要だ。自分はまだまだ精神修養が足りない。
 God bless me!

 

2004.10.23 (My 54th Birthday in Yokohama)

 今年の9月から園芸店の店長をやっている。去年の9月からバイトしていたお店だが、バイトは今年の3月に厭なことがあったので5月のGW後に辞めてしまった。
 そのため、5月下旬から8月一杯までは、うれしい変化もあって、本当に自由で充実した生活が送れた。今年またアメリカへ旅行できたのも大きな喜びだった。そんなこともあって、今のところ悔いのない人生を送っていると思っている。10月からはアパートも藤が丘へ引っ越して、落ち着いた街で新たな生活が始まっている。
 園芸店の方は自分流に今までと変わったことをやっているが、成果が出てくるのは暫く先だと思っている。手応えのようなものは感じているので、自分流をさらに進めていきたいと思っている。園芸店は3年を目途に頑張るつもりだ。もちろん大きな成果が生まれることを期待しているが、もし思うような成果が出なかったら、途中でも辞めるつもりだ。
 初めての民間企業で初めての小売業。貸借対照表も損益計算書も理解できない。しかし、スタッフや出入り業者やお客さんにも何か恵まれている感じがする。やっぱり、どんな仕事に携わっても人間関係が一番大事だと思う。
 人間は一人でも幸せに生きていけると思うが、いい人間といい関係を保って生きていければ、幸せの度合いも大きくなると思う。
 Don't Worry! Be Happy!

 

2003.10.23 (My 53rd Birthday in Yokohama)

 去年の暮れにイギリスから帰って、甲府市長選挙のアルバイトと市長事務所での半年のアルバイト。そして今横浜住まいで園芸店のアルバイト生活。1年前にはこんな展開は全く読めていなかった。人生なんてどうなるのか本当に分からない。来年の今頃はどうしているのだろうか。
 とにかく健康でやりたいことが出来る生活が送れることが最高の幸せだが、もっといろんな経験といろんな人との出会いができたらもっといいと思う。今は身体を鍛え、精神を鍛え、次の展開に備えたい。きっと何かがあることを信じて。

 

2002.10.23 (My 52nd Birthday in UK)

 時間の経つのは本当に早い。人生を転換してはや1年半が経った。振り返ってみて、概ね順調に(だいたい予定通りに)推移していると思う。英会話の方はまだまだ幼稚園レベルで心もとないが、アイオワへ行ったころに比べてだいぶ良くなってきていると思う。
 日本を遠く離れた異国の地にいて、寂しさを感じる時もあるが、いろんな友達が出来て、いろんな価値観を知り、いろんな所、いろんなものを見て、いろんな経験を積み重ねていることは、自分にとっては非常に有意義なことだと思っている。
 確かに、公務員を続けていた方が、安定した収入で安定した生活が約束されていた。しかし、役所暮らしだけの人生、夢を夢で終わらせてしまう人生、そういう人生にはどうにも我慢できなかったから、お金より自由を選んだ。収入のない今は、毎日を節約して暮らさなければならないが、また何かのチャンスで収入を得ることもあるだろう。
 60歳の定年とその後の生活もほぼ決まっている人生より、何が起こるかわからない、ワクワクした人生を送った方が生きているという実感が強く感じられる。また、世界を回れば回るほど地球人という感覚が芽生えてくる。地球は広い、狭い日本で一生を終わりたくはない。
 Let Freedom Ring !

 

2001.10.23 (My 51st Birthday in USA)

 アメリカで英語学校に通っているなんて2~3年前まで想像もしていなかった。今はまだ英語にも慣れずに苦しい日々が続いているが、各国から来ている友達との交流や英語の勉強が出来ることは幸せだ。
 英語が流暢に話せるようになれば自分の世界が広がるのは間違いないと思う。そうなればまた新たな展開も期待できる。
 決断した時期が少し遅かった気もするが、気持だけはいつも若くいたい。面倒くさがらずに何事にも積極的に向かっていこう。英語はもちろんだが、国際感覚の向上や文化の理解にも頑張っていこう。

 

Long and Winding Road