[No.36] 2002.4.7 Religious Liberty

 4月1日(月)にBostonへ行きました。UCAELIの校外活動の一環として、アメリカ合衆国建国初期の重要地であったBostonの歴史的史跡(Freedom Trail)を見学するというのが目的でした。しかし、当日は寒風が吹き荒れて見学どころではありませんでした。唯一の楽しみは、とあるアイリッシュレストランで2種類のビールが飲めたことでした。

 帰りのバスで数人でふざけていたら、先生から「イスラム教の学生のお祈りの時間だから静かに!」と注意されてしまいました。その学生はイランから来ている女性ですが、いつも黒いスカーフと帽子をかぶり、上着とズボンも黒いものを着ています。イスラムでは豚肉は駄目なので彼女はレストランで魚料理を注文しましたが、注文の前にわざわざ旦那に電話をして、食べられるかどうか確認していました。

 それで思い出したのですが、以前、選択クラスでチベットの坊さんが仏教の話を(もちろん英語で)してくれて、その後、ちょっとした宗教論になったことがありました。イスラム教の学生は自分達の宗教を絶対視していて、他宗教の学生や無宗教の学生(私を含む)と大激論になったことがあります。

 彼らによると、「神」はイスラム教もキリスト教も同じで、伝道者がモハメッドかキリストの違いだそうです。(もちろんモハメッドのほうが正当と理解しているようですが)しかし、イスラム教とキリスト教では、その内容は大きく違うように思います。(よく分かりません)イスラム教では(聞きかじった話ですが)、1日に5回お祈りをするそうです。豚肉は厳禁です。(おいしいトンカツがあるのに)また、サウジアラビアでは、最高で4人まで奥さんを持てるそうです。(もちろんお金がなければ無理で、4人を対等に扱わなければならないそうです)

 アメリカにいると、いろいろな国からの出身者がいて宗教もさまざまであることが本当に良く分かります。どの宗教も最終的には人々の幸福と平和を願うものであるはずなのに、なかなか理解できないところもあり、それ故に、紛争なども絶えないのでしょうか?

 日本のように、大晦日にお寺で鐘を撞き、正月に神社へ初詣、お彼岸にお墓参り、夏の盆踊りを楽しみ、神社で春祭りや秋祭りを祝い、クリスマスやバレンタインも祝ってしまう、そういう懐の広さ(または不見識か)が個人的には好きです。でも、世の中から宗教がなくなってしまえばもっと良いと思っています。

Previous <-- List --> Next